昭和45年7月29日
神奈川県原爆被災者の会
まさか大船観音様に慰霊塔があるとは知らずに。
そうですよね。当時は情報も少なく世間の被爆者への偏見や差別などもあり泣く泣くかの地を去らざるえなかった人もいたわけで。
(無知ゆえに今だって福島への偏見や差別があるわけで)
どうやら昨年12月の愛しの広島てくてく通信と今回のてくてく通信が繋がっていたようです。
ちょっと驚いた。
“ちいさくておおきな旅”なんだから繋がっていても全くおかしくはないのですが。
全ては繋がっている。
人体が全て繋がっているようにね。
昨年12月に広島平和記念資料館東館にて特別講演会がたまたま(たまたまなんてないけど)開催されていて当時12歳で爆心地にて被爆したKさんご本人から、…被爆したご本人からお話を伺いました。
いままで見聞きしたり各種メディアにて、
いっさい聞いたこともない話を。
その時の状態を。
又聞きするのとは違う。
なぜKさんが生き残れたのかなど。
その他いままで全く聞いたこともないことを。
当の当事者から聞いたそれらのお話は残念ながらこちらでは書くことができませんが。
(勿体ぶっているわけではなく。たぶんに慎重にならないと誤解を生んだりする可能性が非常にあるからです。またこちらの言葉を歪めてしまう人もいるからです。)
しかし私はKさんの貴重なお話からあるひとつの…いやふたつの得心と確信を得ることになったのです。
そういったことも交流会やら練習会やら対面の場にても少しつづシェアできたらと思っております。