そういえば、先のプロコース実践会だったか、いやその前日のサードディグリー伝授の方だったか記憶が定かでないのですが。
ある方がなにかの話のついでというか、話の流れの中でふと
「ある時ある場所でふと、提灯の明かりを見て生きる意味をなんとなく漠然と理解したような気がした」
というような趣旨のお話をシェアしてくださりました。
あらゆる光にはそのような“力(エネルギー)”があります。
つまり、希望。
たとえその光の大もとが原子力発電だとしてもです。
原子力に罪があるのではなく、使う側の問題なだけで。
使う側が幼いだけで原子力そのものには罪はない。
2017年のサブにも書きましたが。またメインブログにも近々書きたいと思います。