伝授をしていて思うこと徒然
伝授の前に色々支度をしていてアレをお伝えしようコレをお伝えしようと思案し順序だてて準備するのだが、実際蓋を開けたらその場でお伝えすることは全く違かったりする。
お伝えするレイキについての基本的内容の本筋は同じなのだけれども、前もって「蛇足として」お伝えしようとしていた事は話に出てこず、全く違う話が出てきたりする。
そしてそれはそのクライアント様にとって
とても意味のあるもの。必要性のあるもの。
その方にとって必要な情報を伝えるのに
私の口を使って、私という物理的な人間を使って、
つまり私は道具として言わされているに(お伝えさせられているに)過ぎないんだなぁと思う。
伝授をする側は伝授をする度に、否が応にも
謙虚になる。いや謙虚になれます。どんどん謙虚になってゆく。
私が伝授を受ける側だった時にこの人(師匠たち)は各々違う個性はあれどなんて感じがいい人なんだろうと密かに思っていたけど、伝授を行えば行うほど否が応にも謙虚になってしまうんだなと。伝授する側になってみてふと気がつく。
クライアント様が主役。伝授する側は黒子であり、脇役であり、伝書鳩みたいなもの。
そしてクライアント様の「貴重な祝い」の席に同席させてもらえている。
有難いことです。
伝授をしていて平静を装っていたけれどもウルウルと感極まってイトーサン泣きそうでした(おまいが感極まってどうする的なツッコミはナシの方向でハァト
お伝えするレイキについての基本的内容の本筋は同じなのだけれども、前もって「蛇足として」お伝えしようとしていた事は話に出てこず、全く違う話が出てきたりする。
そしてそれはそのクライアント様にとって
とても意味のあるもの。必要性のあるもの。
その方にとって必要な情報を伝えるのに
私の口を使って、私という物理的な人間を使って、
つまり私は道具として言わされているに(お伝えさせられているに)過ぎないんだなぁと思う。
伝授をする側は伝授をする度に、否が応にも
謙虚になる。いや謙虚になれます。どんどん謙虚になってゆく。
私が伝授を受ける側だった時にこの人(師匠たち)は各々違う個性はあれどなんて感じがいい人なんだろうと密かに思っていたけど、伝授を行えば行うほど否が応にも謙虚になってしまうんだなと。伝授する側になってみてふと気がつく。
クライアント様が主役。伝授する側は黒子であり、脇役であり、伝書鳩みたいなもの。
そしてクライアント様の「貴重な祝い」の席に同席させてもらえている。
有難いことです。
伝授をしていて平静を装っていたけれどもウルウルと感極まってイトーサン泣きそうでした(おまいが感極まってどうする的なツッコミはナシの方向でハァト