戦はできぬ。
いざ鎌倉。
産土でありお宮参りの鶴岡八幡宮に詣る前に腹ごしらえするために。
小町通りにあった父方の遠戚のおばちゃんチも、もうありません。
一歳くらいの記憶ですが、おばちゃんはわたしを周りのお店の人々に抱っこしながら無邪気に見せびらかしていました。「甥っ子(父)の娘だよ!もう歩くんだよ!言葉も解るんだ!賢いだろ!かわいいだろ!」ってね。
そんなおばちゃんに何も言えず、気まずそうに恥ずかしそうにわたしたちの後をついて来ていた両親の顔を良く覚えています。
たぶん、晩秋の夕方だったと思う。
薄暗くなってきて潤む街灯、木枯らしで頬がカサカサして痒かったのを覚えています。
おばちゃんの着物の樟脳の匂いも。
私が友人たちの赤子ちゃんや子供や動物に真剣に真心込めて「賢いね!かわいいね!」とナチュラルに言うのは、この鎌倉のおばちゃんの心からの発言を無意識下に大事にしまっているからかもしれません。
(わたしはお世辞を言わないから友人が少ないのですが(笑))
両親が心身経済ともに健康で幸せだった頃の記憶の残骸を辿るようで、まるで記憶の残骸を這いつくばって探しているようで。
その後の父母二人の病身故に崩壊していった我が実家の凄惨さを想うと。
幸せだったからこそ惨めになり、ずっと避けていた場所。
鎌倉と藤沢。
それはわたしの今生の歴史、過去の浄化のフィナーレの旅でした。
惨めさは溶けて天に還ってゆきましたよ。