昨日、(高校時代からの)友人とごはんに行った際にいつの間にか撮ってくれてた写真。
自撮りと違って構えてないし、ふーん、こんななんだね、じふん。
写真は写心と言いますし、友人の中のわいはこんな風に見えてんのか。
インタレスティング🤔
この写真を撮った友人の中の伊藤と、あなたの中の伊藤と、伊藤の中の伊藤は同じようで僅かに違う。
なぜならばそこには観察者効果が作用するからね。
これは詭弁じゃなくて、事実、みんな自分というフィルタ(色眼鏡をかけている)があるから。
結局、ひとは見たいものを見たいようにしか見ようとしない。
マザーテレサにしたって稀代の聖人にか見えない人もいれば、稀代のビジネスマンにしか見えない人もいるしね。
だからせめて少しだけ角度くらいは変えて見てみる。何事もね。
ちなみに友人と食事などをしてる時は主にメイクだの洋服だのカイリージェンナーだののハナシしかしてないよ。あしからず。
完全オフデーですから。
しかし
異業種の友人のハナシを聞くのは為になりますね。友人はデパコス美容部員。
同業者同士でつるんでばかりいると盲点だらけになるし、同じ規格品のみで作られた製品や集団が行き着く先は緩やかな崩壊が待っているだけですから。