まずそこを一番大事にしないと。
自由が丘の熊野神社の宮司さんもおっしゃっておられたよ。台湾の先生にも教えてもらったし祖母みつ子も同じことを言っていましたね。私も岩手の超山奥に行った時にうち捨てられたそういったところを垣間見ましたが確かに得体の知れないものがけっこういました。
彼らには彼らの行動原理があり悪気などはないけどこちら人間側の都合など一切考えてくれませんから。だから要注意。いわゆる自然霊(精霊など)というのは人間など意に介さないからね。
例えば、きちんと神社仏閣に所属している龍神と自然龍は全く別物です。どっちが良い悪いではなく自然龍などは人間社会など意に介さないということです。それは他のきつねやらたぬきやら狛犬やらビハインドアニマル(聖獣)と呼ばれているものをそうです。
例えば豊川稲荷の年若い霊狐などは、ご縁ある人間にくっついて来て(人間のもとにやってきて)人間と人間心理や社会というものを学んでくれているわけです。眷属になるべく行儀見習いに来てるということですね。
豊川や伏見などのきちんとしたところの眷属の霊狐と得体の知れない狐の姿をした何かとは全く別物です。
そこのところを理解せずに狐=悪というのはあまりにも物を知らなさすぎる。
自宅の氏神様を大事にしろとは言ってもね、打ち捨てられている神社や祠ではなく、きちんと管理されているところね。
きちんと管理されていない祠などは言われている神様が居らず(とっくの昔にどこかに行ってしまったり移動してしまったりしているから)全然別次元の別のものがなりすましてることもあるのでね。
その神社や祠を管理している人(神職の人や氏子総代など)と移動している神仏も存外多いです。
あまりにも打ち捨てられた神社仏閣や祠などに魅せられているということは、そういったものがくっついてしまっている可能性も大いにあります。
手に負えないんですからそういった打ち捨てられた神社仏閣や祠などには近づかないこと。