なんか困ったことあったらいつでも連絡してきな
自宅からいちばん近い神社の英霊碑にも手を合わせてるんですけどね。
本殿のイソタケル君&スサさまにはもちろんですが。
一応この土地に住まわせてもらってるわけですから、そこはそれ、住まわせてくれてどうもありがとうという気持ちも込めて。
しかも私たち家族は戸籍謄本を今の住所にしてしまったわけですから。
もう徳島の人間(私は生まれは藤沢市だが謄本は結婚するまでは徳島)でも山形(ダンナ)の人間でもなくなっちゃったわけですよ、目には見えない領域では。←これ超重要
だから『私たちをこの土地の人間にしてくれて、受け入れてくれて。ありがとう。』っていう気持ちも込めて手を合わせてます。
どの区も、「はまっ子三日(3日住んだらあんたは立派なジモティー)」というくらい、よそもんをマッハで受け入れてくれる氣風が強い。人も神も。
明治維新の時に 今まで見たことないようなものや考え思想などが いいものも悪いものを全部入ってきたから。そりゃそうだわ。(だから関内石川町黄金町あたりは昔から色々カオス)
それはさておき。
護國神社の宮司様が仰られていた、
「戦地で戦局が厳しくなると、いちばん先に配給が途絶えたのは、甘いものとタバコなので、地区の招魂祭には、必ず、甘いお菓子と煙草をお供えして下さい。それと、お水。」
それに倣って 上記のものを毎年終戦記念日にお供えしてたのね。
お供えしてるところを誰かに見られたことないんですけど。
土曜日の昼間に神社に詣った時にね、
軽トラがぶぃ〜と境内にやってきた。
その軽トラから颯爽と、かなり年配のおじいが降り立ったのね。
初対面なんですけどなぜか私のとこ真っ直ぐすたすたとやって来た。
「わたしの畑で採れたものだよ、あんたにあげる」って言われてね。
デラウェアを こんなにたくさんどーせいっちゅーの…っていうぐらいたくさん戴いてしまいました。
神社総代さんで、 戦没者遺族会の代表もなさっているそうで。
ほんでさー
立ち話で英霊碑について色んなお話をしたのね。
そのおじいのお兄さんのお名前も碑に刻まれているんだよ、とか。
当時、おじいは八歳で、お兄さんは二十歳で散っていっただとかね。 11人兄弟だとか。
色んなお話をしていくうちに なぜだかおじいがさー、
ぬっと、名刺を出してきてさー、
爺「何か困ったことがあったら連絡してきて」
ぉ、おおう。かっこいいじゃん、じじい。
私「はぁ…ありがとうございます( 困った事ってどのような種類の困ったことだべさ😅)」
で。
お礼を言ってお別れしたんですけども。
これって…
今住んでる地元の英霊さんたち からのお礼ってことでいいんでしょうね?
もちろんおじいに連絡とかするような困ったことはないですし、これからもないだろうが(あったらそれこそ困るわい)
まずは地元の氏神様が一番大事というお話。
(ついでにいうと本籍地の土地神も大事。
なにかあった時に本籍地の土地神が現住所の土地神と違うと色々ややこしいのよね。 神奈川県警のテリトリーに徳島県警がズカズカ乗り込めないみたいなカンジよ。ちなみにFBIやICPOみたいな神仏もたくさんいますが。またそれは別記事ででも。長くなるし。)
私の場合はこの家から一番近い神社と横浜市の総氏神の伊勢山さんってこと。
困ったことがあったら連絡してきなさいって 英霊さん達からの言伝てだと確信してます。
散華したら日本と日本の人々と自分の里を守る鬼になると遺言書を見聞いたことがありましたが。
こんな優しい鬼がどこにいようか。
英霊さん(戦争で犠牲になった全ての人々、女子供赤ん坊も含まれる)は地元の守護神でもあるので、ご挨拶したい人はしてみたら?
あ、無理に行く必要はないです。
ご挨拶したい人がすればいいから。
でも私の場合はこの土地での生活に於いて色々と便宜を図ってくれてるんだろうなと思うことはものすごく多いです。
本殿のイソタケル君&スサさまにはもちろんですが。
一応この土地に住まわせてもらってるわけですから、そこはそれ、住まわせてくれてどうもありがとうという気持ちも込めて。
しかも私たち家族は戸籍謄本を今の住所にしてしまったわけですから。
もう徳島の人間(私は生まれは藤沢市だが謄本は結婚するまでは徳島)でも山形(ダンナ)の人間でもなくなっちゃったわけですよ、目には見えない領域では。←これ超重要
だから『私たちをこの土地の人間にしてくれて、受け入れてくれて。ありがとう。』っていう気持ちも込めて手を合わせてます。
どの区も、「はまっ子三日(3日住んだらあんたは立派なジモティー)」というくらい、よそもんをマッハで受け入れてくれる氣風が強い。人も神も。
明治維新の時に 今まで見たことないようなものや考え思想などが いいものも悪いものを全部入ってきたから。そりゃそうだわ。(だから関内石川町黄金町あたりは昔から色々カオス)
それはさておき。
護國神社の宮司様が仰られていた、
「戦地で戦局が厳しくなると、いちばん先に配給が途絶えたのは、甘いものとタバコなので、地区の招魂祭には、必ず、甘いお菓子と煙草をお供えして下さい。それと、お水。」
それに倣って 上記のものを毎年終戦記念日にお供えしてたのね。
お供えしてるところを誰かに見られたことないんですけど。
土曜日の昼間に神社に詣った時にね、
軽トラがぶぃ〜と境内にやってきた。
その軽トラから颯爽と、かなり年配のおじいが降り立ったのね。
初対面なんですけどなぜか私のとこ真っ直ぐすたすたとやって来た。
「わたしの畑で採れたものだよ、あんたにあげる」って言われてね。
デラウェアを こんなにたくさんどーせいっちゅーの…っていうぐらいたくさん戴いてしまいました。
神社総代さんで、 戦没者遺族会の代表もなさっているそうで。
ほんでさー
立ち話で英霊碑について色んなお話をしたのね。
そのおじいのお兄さんのお名前も碑に刻まれているんだよ、とか。
当時、おじいは八歳で、お兄さんは二十歳で散っていっただとかね。 11人兄弟だとか。
色んなお話をしていくうちに なぜだかおじいがさー、
ぬっと、名刺を出してきてさー、
爺「何か困ったことがあったら連絡してきて」
ぉ、おおう。かっこいいじゃん、じじい。
私「はぁ…ありがとうございます( 困った事ってどのような種類の困ったことだべさ😅)」
で。
お礼を言ってお別れしたんですけども。
これって…
今住んでる地元の英霊さんたち からのお礼ってことでいいんでしょうね?
もちろんおじいに連絡とかするような困ったことはないですし、これからもないだろうが(あったらそれこそ困るわい)
まずは地元の氏神様が一番大事というお話。
(ついでにいうと本籍地の土地神も大事。
なにかあった時に本籍地の土地神が現住所の土地神と違うと色々ややこしいのよね。 神奈川県警のテリトリーに徳島県警がズカズカ乗り込めないみたいなカンジよ。ちなみにFBIやICPOみたいな神仏もたくさんいますが。またそれは別記事ででも。長くなるし。)
私の場合はこの家から一番近い神社と横浜市の総氏神の伊勢山さんってこと。
困ったことがあったら連絡してきなさいって 英霊さん達からの言伝てだと確信してます。
散華したら日本と日本の人々と自分の里を守る鬼になると遺言書を見聞いたことがありましたが。
こんな優しい鬼がどこにいようか。
英霊さん(戦争で犠牲になった全ての人々、女子供赤ん坊も含まれる)は地元の守護神でもあるので、ご挨拶したい人はしてみたら?
あ、無理に行く必要はないです。
ご挨拶したい人がすればいいから。
でも私の場合はこの土地での生活に於いて色々と便宜を図ってくれてるんだろうなと思うことはものすごく多いです。