クライアントさんの弟さんからのでんごん
対面セッション行き掛けに溝の口駅にて。
本日のセッションではなく2日前のセッションのクライアント様にまつわる出来事なんですけれども。
セッションに行く前に私は溝の口駅で大井町線に乗り換えるために電車を待っていました。
電車を待つといっても1分ほどしか待っていないんですけれども。
その時に10メートルぐらい離れたところで マスクをしていない20〜30代くらいの男性が佇んでいて私をじっと見ているんですね。
その人は電車を待つ列には加わっていなかったので目立ちました。
マスクもしていないし。
最初私は マスクをしていないなんてどういう事?と思いながら 見つめ返したのですけれども。(現時点では首都圏でマスクをしていない人はまず見かけませんので)
でも彼は別に私を睨みつけてるわけでもなく、どちらかと言えば柔和な、少し微笑んでさえいるような、静かな、穏やかな表情をされていました。
マスクをしておらず 茶色の セーターなのか茶色の薄いジャケットなのかそんなような洋服を着ていました。
しばらく私もぼんやり彼のことを見つめていたんですけれども、電車が来たので乗り込んだんですね。
この時点で悪意や敵意・害意を感じないので痴漢や変質者ではないのだろうとは思っていました(てか女性だったら経験則的にもすぐ解るよね。痴漢か変質者かどうかなんて)
電車に乗り込み席に座ったところでもう一度彼を見ようとしたら彼はどこにも見当たりませんでした。
私には全く見覚えのない人です。
セッションに行く道すがら一体何だったのだろう?と思っていたのですけれども。
彼はその当日のセッションのクライアントさんの他界された弟さんであったようです。
特徴をお伝えしたら そんなようなことであるとのお返事を頂きました。
そのクライアントさんのセッションを数回していますが、亡くなったお父様と弟さんは何回か霊視でコンタクトを取ったことがあるのですが姿形のビジョンは見たことはありませんでした。
私は他界された人の御霊を割と実態のある人のように見えてしまうので判別が非常につきにくいんですけれども。
よほどお兄様であるクライアント様のことを想って(護って)いらっしゃるのですね。
このようにはっきりくっきりクライアント様を守護する他界された御親族さまが見えたことは過去3〜4回程あります。
しかも私が変性意識状態になっていない時に。今回のようにお外で。
この弟さんはお兄様であるクライアント様に、どうか自分や父親が亡くなったことや、彼らがしてきたことの罪悪感を背負ってほしくないようなんですね。
そうなんです。
その時のクライアントさんは
“自分がしたことではないことをまるで自分がしてきたかのように背負ってしまっている”
ところがあってね。
彼自体は何も悪いことをしていないのに 他のご親族がしてきたことを全部背負い込こもうとしてしまっている。意識的にも無意識的にも。
弟さんはそんなことは絶対してほしくないとその旨を是非彼に伝えて欲しいと溝の口駅で私に(施術者に)姿を見せたのだと思います。
生前どんな関係であったとしても 残された人々(子孫)に絶対に自分の二の轍を踏んでほしくなかったりするわけです。
この弟さんは本当にお兄様(クライアントさん)のことが大好きだったみたいです。
生前あまり交流が薄く、そのように感じなかったとしても。
これについてもっとしっかり話をまとめて、メインブログにでもお伝えしたいと思います。
忘れないうちに先に覚書としてここに書いておきます。
ॐ ह्ल्रीं बगलामुखि सर्वदुष्टानां वाचं मुखं पदं स्तम्भय
जिह्वां कीलय बुद्धिं विनाशय
本日のセッションではなく2日前のセッションのクライアント様にまつわる出来事なんですけれども。
セッションに行く前に私は溝の口駅で大井町線に乗り換えるために電車を待っていました。
電車を待つといっても1分ほどしか待っていないんですけれども。
その時に10メートルぐらい離れたところで マスクをしていない20〜30代くらいの男性が佇んでいて私をじっと見ているんですね。
その人は電車を待つ列には加わっていなかったので目立ちました。
マスクもしていないし。
最初私は マスクをしていないなんてどういう事?と思いながら 見つめ返したのですけれども。(現時点では首都圏でマスクをしていない人はまず見かけませんので)
でも彼は別に私を睨みつけてるわけでもなく、どちらかと言えば柔和な、少し微笑んでさえいるような、静かな、穏やかな表情をされていました。
マスクをしておらず 茶色の セーターなのか茶色の薄いジャケットなのかそんなような洋服を着ていました。
しばらく私もぼんやり彼のことを見つめていたんですけれども、電車が来たので乗り込んだんですね。
この時点で悪意や敵意・害意を感じないので痴漢や変質者ではないのだろうとは思っていました(てか女性だったら経験則的にもすぐ解るよね。痴漢か変質者かどうかなんて)
電車に乗り込み席に座ったところでもう一度彼を見ようとしたら彼はどこにも見当たりませんでした。
私には全く見覚えのない人です。
セッションに行く道すがら一体何だったのだろう?と思っていたのですけれども。
彼はその当日のセッションのクライアントさんの他界された弟さんであったようです。
特徴をお伝えしたら そんなようなことであるとのお返事を頂きました。
そのクライアントさんのセッションを数回していますが、亡くなったお父様と弟さんは何回か霊視でコンタクトを取ったことがあるのですが姿形のビジョンは見たことはありませんでした。
私は他界された人の御霊を割と実態のある人のように見えてしまうので判別が非常につきにくいんですけれども。
よほどお兄様であるクライアント様のことを想って(護って)いらっしゃるのですね。
このようにはっきりくっきりクライアント様を守護する他界された御親族さまが見えたことは過去3〜4回程あります。
しかも私が変性意識状態になっていない時に。今回のようにお外で。
この弟さんはお兄様であるクライアント様に、どうか自分や父親が亡くなったことや、彼らがしてきたことの罪悪感を背負ってほしくないようなんですね。
そうなんです。
その時のクライアントさんは
“自分がしたことではないことをまるで自分がしてきたかのように背負ってしまっている”
ところがあってね。
彼自体は何も悪いことをしていないのに 他のご親族がしてきたことを全部背負い込こもうとしてしまっている。意識的にも無意識的にも。
弟さんはそんなことは絶対してほしくないとその旨を是非彼に伝えて欲しいと溝の口駅で私に(施術者に)姿を見せたのだと思います。
生前どんな関係であったとしても 残された人々(子孫)に絶対に自分の二の轍を踏んでほしくなかったりするわけです。
この弟さんは本当にお兄様(クライアントさん)のことが大好きだったみたいです。
生前あまり交流が薄く、そのように感じなかったとしても。
これについてもっとしっかり話をまとめて、メインブログにでもお伝えしたいと思います。
忘れないうちに先に覚書としてここに書いておきます。
ॐ ह्ल्रीं बगलामुखि सर्वदुष्टानां वाचं मुखं पदं स्तम्भय
जिह्वां कीलय बुद्धिं विनाशय