新月一斉無料遠隔レイキヒーリングのご感想@
伊藤さん、こんにちは。
昨夜はありがとうございました。
す。
今日はまだ薬は飲んではいないです。
痛みがくる前兆みたいなもんを感じれば飲むのですが今のところはちょっとしたチクチク感がたまに感じるくらいですかね、石が小さくはなったのかなと。
あとは実感としたら尿路に集中してた具合の悪さが頭痛やら腹が下ったりに分散したような気はします。
朝方、軽い頭痛に腹が下ったりって感じだったしあんま感じたことのない軽い感じの頭痛だったので、まぁーまだ倦怠感と動くと息は上がります、仕事も負担がないヤツなら行きましたが自分にはハードそうなので今日は休みました明日は暇なので多分、休みになりますし、来週は雨が続くので暇な週になるはずです。
まぁーここら辺も良く考えたなら尿路結石になるタイミングとしたら悪くはなかったのかなと、まぁー暇ってのは後々に自分の問題としては降りかかってはきますがそもそも世の中が色んな影響が段々と目につくようになってますし、例え今のところで長く勤めようとしたところで体調的にも問題なくなったところで次の魂のリハビリへのステージに進みなさいって流れはやってきそうな気はします。
何せ、痛みの強烈さは自分の中では記憶の中では消えていたので痛みを持って何かを知るってことに繋げられるのかってのと、カルマと云えど学びであって魂を育てる循環でのイベントの一つだし、過去性を含めて望んでた必要としていたカルマかも知れないし経験したいことを体感してるのかも知れないし、そう考えたなら悪いことを重ねて悪いカルマ積むことも求めていたことにもなるので矛盾が生まれますが、そもそも人間では追い付かない次元に真理があるんだかないんだか何もかもあってないようなもんだからワケわからない、伝わっている、教わっている世界観だけじゃないと思うので。
まぁー新たなイベントが催される可能性もありますが。
ありがとうございました、日曜日は宜しくお願いします。
いただいているお薬をしっかり摂り、お薬そのものも手のひらに包んでレイキを流してくださいね。
『私の体に無理なく効いてくれてどうもありがとう』という想いを添えて。
一つ私からの提案としては西洋医療の薬=全て悪という概念を持つことはやめるがいいです。
このクライアントさんはそんなことは思っていないでしょうが、そう内心で思っている方がとても多いのでここで一つ提案ね。
抗がん剤薬でも 大して影響が出ない人と負けてしまう人の差というのはそこです。
『こんなもので私の命が救えるものか』と想いながら摂取しているのと『私の命のサポートをしてくれてありがとう』と想いながら摂取しているのとでは、ものすごく差が出ます。
これは物理学ですが反発すればするほど 自らに還ってくる ダメージ(反動)は強くなります。
『こんなもので私の命が救えるものか』 そう想っているとあなたの体の中の最小単位の素粒子はそういう風に動きます。
『私の命のサポートをしてくれてありがとう』そう想っているとあなたの体の中の最小単位の素粒子はそういう風に動きます。
例えばね、ただ自分がそこに存在しているだけなのに『あいつは悪い奴だ嫌な奴だ』って内心思われているのと『あの人はそんなことないよいい人だよ』と内心思われてるのではどうです?
居心地いいでしょうか?悪いでしょうか?
以心伝心という四文字熟語は読み飛ばしてスルーしてしまいがちですが。
これは人間だけに限らず万物に共通するものです。
(最初から万物を破壊するために作られたような悪意の元に造られた有害物質はどうなのかは、本題からズレるからちょっと横に置いておくとして)
このクライアントさんの 癖というのは、深く考えすぎて思考が崩壊してしまう、わけがわからなくなるという癖がありますので。
ただ3食栄養のあるものをしっかり摂り、適度に運動する、なんにせよ、その適度さが必要です。
ところで 私がお伝えした『自分の体を撫でながらありがとうと呟く』という宿題はきちんとやりましたか?
それについての記述がありませんが。
随分昔のメインブログにも 書きましたが、ありがとうというのは万国共通の一番単純で簡単な素晴らしいマントラです。
この方に限らずこれをご覧になった他の方々も是非試してみてください 。
口が裂けても言いたくないシーンで。
心が伴っていなくても棒読みでも構いません。
ありがとう、と。
一度でいいから自分自身の身体にありがとうと声をかけてみなさい。
どんなに酷使しても、どんなにメンテナンスしなくても、産まれてから一度だって止まったことがない、頑張って働いてくれている自分の体に対して。
哲学的なことを考えすぎてわけがわからなくなる前に、やりなさい。言いなさい。
私の体、いつもありがとう
と。
昨夜はありがとうございました。
す。
今日はまだ薬は飲んではいないです。
痛みがくる前兆みたいなもんを感じれば飲むのですが今のところはちょっとしたチクチク感がたまに感じるくらいですかね、石が小さくはなったのかなと。
あとは実感としたら尿路に集中してた具合の悪さが頭痛やら腹が下ったりに分散したような気はします。
朝方、軽い頭痛に腹が下ったりって感じだったしあんま感じたことのない軽い感じの頭痛だったので、まぁーまだ倦怠感と動くと息は上がります、仕事も負担がないヤツなら行きましたが自分にはハードそうなので今日は休みました明日は暇なので多分、休みになりますし、来週は雨が続くので暇な週になるはずです。
まぁーここら辺も良く考えたなら尿路結石になるタイミングとしたら悪くはなかったのかなと、まぁー暇ってのは後々に自分の問題としては降りかかってはきますがそもそも世の中が色んな影響が段々と目につくようになってますし、例え今のところで長く勤めようとしたところで体調的にも問題なくなったところで次の魂のリハビリへのステージに進みなさいって流れはやってきそうな気はします。
何せ、痛みの強烈さは自分の中では記憶の中では消えていたので痛みを持って何かを知るってことに繋げられるのかってのと、カルマと云えど学びであって魂を育てる循環でのイベントの一つだし、過去性を含めて望んでた必要としていたカルマかも知れないし経験したいことを体感してるのかも知れないし、そう考えたなら悪いことを重ねて悪いカルマ積むことも求めていたことにもなるので矛盾が生まれますが、そもそも人間では追い付かない次元に真理があるんだかないんだか何もかもあってないようなもんだからワケわからない、伝わっている、教わっている世界観だけじゃないと思うので。
まぁー新たなイベントが催される可能性もありますが。
ありがとうございました、日曜日は宜しくお願いします。
いただいているお薬をしっかり摂り、お薬そのものも手のひらに包んでレイキを流してくださいね。
『私の体に無理なく効いてくれてどうもありがとう』という想いを添えて。
一つ私からの提案としては西洋医療の薬=全て悪という概念を持つことはやめるがいいです。
このクライアントさんはそんなことは思っていないでしょうが、そう内心で思っている方がとても多いのでここで一つ提案ね。
抗がん剤薬でも 大して影響が出ない人と負けてしまう人の差というのはそこです。
『こんなもので私の命が救えるものか』と想いながら摂取しているのと『私の命のサポートをしてくれてありがとう』と想いながら摂取しているのとでは、ものすごく差が出ます。
これは物理学ですが反発すればするほど 自らに還ってくる ダメージ(反動)は強くなります。
『こんなもので私の命が救えるものか』 そう想っているとあなたの体の中の最小単位の素粒子はそういう風に動きます。
『私の命のサポートをしてくれてありがとう』そう想っているとあなたの体の中の最小単位の素粒子はそういう風に動きます。
例えばね、ただ自分がそこに存在しているだけなのに『あいつは悪い奴だ嫌な奴だ』って内心思われているのと『あの人はそんなことないよいい人だよ』と内心思われてるのではどうです?
居心地いいでしょうか?悪いでしょうか?
以心伝心という四文字熟語は読み飛ばしてスルーしてしまいがちですが。
これは人間だけに限らず万物に共通するものです。
(最初から万物を破壊するために作られたような悪意の元に造られた有害物質はどうなのかは、本題からズレるからちょっと横に置いておくとして)
このクライアントさんの 癖というのは、深く考えすぎて思考が崩壊してしまう、わけがわからなくなるという癖がありますので。
ただ3食栄養のあるものをしっかり摂り、適度に運動する、なんにせよ、その適度さが必要です。
ところで 私がお伝えした『自分の体を撫でながらありがとうと呟く』という宿題はきちんとやりましたか?
それについての記述がありませんが。
随分昔のメインブログにも 書きましたが、ありがとうというのは万国共通の一番単純で簡単な素晴らしいマントラです。
この方に限らずこれをご覧になった他の方々も是非試してみてください 。
口が裂けても言いたくないシーンで。
心が伴っていなくても棒読みでも構いません。
ありがとう、と。
一度でいいから自分自身の身体にありがとうと声をかけてみなさい。
どんなに酷使しても、どんなにメンテナンスしなくても、産まれてから一度だって止まったことがない、頑張って働いてくれている自分の体に対して。
哲学的なことを考えすぎてわけがわからなくなる前に、やりなさい。言いなさい。
私の体、いつもありがとう
と。