人生のどのあたりで苦労をするのか楽をするのかは人それぞれ
わたしの結婚後の家庭運。
我が家はというか私たち夫婦は山形の父母の籍から外れて所謂分家したんですね。
紙の戸籍というのは目に見えない領域に相当しますので、では目に見える領域である現実的にはどうかというと、義実家と親睦が薄いというか、適度な距離感でほっといてもらえています。
そして私は生来コミュニケーション能力&バランス感覚に長けていますので、いざこざとは無縁です。
他界したお父さんには あまり接触しなかったのにも関わらず信頼されていました。
何も良い子ぶっていた訳でも信頼を勝ち取ろうと努力したわけではなく 勝手に信頼してくれたわけです。
適度な距離感でほっといてもらえているというのはつまり信頼されているということになります。これは私に限らず。
私は生来、実家運(というか母親運)が著しく傷ついており、特に母とその妹たちには幼少期から散々苦しめられましたが、それゆえに 苦境や逆境にとても強く、根性も度胸も身に付きましたし、コミュニケーション能力が更に高まり、内面が相当に強靭になりました。
これでたとえどんなくそじじいくそばばあが義理の親になっても対抗できるな余裕だなと思っていたので、肩透かしを食らいました。
何にも言わずとも(なにもせずとも)なぜか義理のお父さんもお母さんも私を信頼して一目置いてくれるんですよね。
それはまぁ、義理の両親も長年生きてきて莫迦じゃないので。
この子(私)、きちんと地に足がついているなっていうのも見て取れるんでしょうが。
何にもしない、今のような好きな仕事をしても説明せずとも勝手に信じてもらえる、何にも言わないでも、子供を生まなくても。なぜか勝手にリスペクトしてくれる。
ひらたくいうと結婚後の家庭運がいい。
端的に言うと私は実家運(実の親族運)がえらくよろしくなかったんですが、結婚後の家庭運(義理の親族運)がえらく良いんですね。
いろんな人々を見てきて思うのは大体皆さん、どちらかが良くて、どちらかが悪いというのが大多数ですね。
もちろんどちらも悪いという人もいれば、どちらも良いという人もいます。 ですがとてつもなく少数派ですが。
そういった人たちはまた別の所で難関が待ち構えている。
ひとつの人生一生を通してオールマイティに何でもすごくいい人というのはいません。
オールマイティになんでもいいんだったら生まれてくる(学びにくる)必要がなくなってしまいますから。
人生が学校だとしたら、学ぶ必要がない人は学校に行かなくていいわけですからね。
これはどんなに恵まれているように見える人でも、またその逆の人でも全人類に共通することです。
脅すわけではないですが、実の両親に恵まれ実家運にも恵まれている人というのは、 義実家で相当苦労する人が多いという傾向はものすごくよく見られます。
つまりどこで最も重要なことを学ぶかということです。私は人生のそうとう若い頃に学んだということ。
結婚後これから学ぶという人もいます。
どこに難関が待ち構えているかというのはその人の人生設計図でそれぞれ違うものですから、 どちらが優れていてどちらが劣っているだという話ではありません。
結婚もせず子供もおらずで今生をすべて自分だけのために自由に使える人というのは 大体サイコロがもうすぐ上がりだと言われていますが、そういう人でさえ 物理的・精神的にも(人知れず)強烈な孤独とどう向き合うか、という超絶難関が待ち構えています。
もう人生クエストなんかしないも〜ん🖤全部楽しいことだけで済ますも〜ん🖤るんるん🖤っていうのは、現段階の地球上では残念ながらありませんし、それを売りにしている自己啓発系の人達、今どんどん裁判沙汰や警察沙汰になったりして淘汰されたりしてますしね。
さておき。
何が言いたいのかと言うとね。
『めぐみさん、旦那にも旦那の実家にも仕事にも恵まれてて羨ましいなあ』なんて思う必要はないってことですよ。おつかれちゃん。
何でもほくほくなオールマイティな人生なんかないかわりに、何一つ救いがない人生というのもないですからね。
実は人生は不平等なのではなく一律に平等なんですよ。
すべての人間は人間である以上、苦しみも喜びも必ず味わうのですから。
もしかしたら死ぬ瞬間にそれを芯から悟れるのかもしれないし、来世や来来世で腑に落とせるのかもしれないし。
写真は義父と幼少期のダンナマン。
生前、お父さんに電話越しに言われた言葉。
『こんな莫迦息子といっしょになってくれてありがとう』
いーえー。こちらこそです、お父さん。
今日からお盆ですが、お墓参りが出来なかったり 仏壇がないという人も思い出を馳せてみるというのもしてみてくださいね。
伝授を受けている方は実家婚家問わずご先祖様に向かって遠隔レイキを流してあげて下さいよ。
お盆によせて、よもやま話でした。
我が家はというか私たち夫婦は山形の父母の籍から外れて所謂分家したんですね。
紙の戸籍というのは目に見えない領域に相当しますので、では目に見える領域である現実的にはどうかというと、義実家と親睦が薄いというか、適度な距離感でほっといてもらえています。
そして私は生来コミュニケーション能力&バランス感覚に長けていますので、いざこざとは無縁です。
他界したお父さんには あまり接触しなかったのにも関わらず信頼されていました。
何も良い子ぶっていた訳でも信頼を勝ち取ろうと努力したわけではなく 勝手に信頼してくれたわけです。
適度な距離感でほっといてもらえているというのはつまり信頼されているということになります。これは私に限らず。
私は生来、実家運(というか母親運)が著しく傷ついており、特に母とその妹たちには幼少期から散々苦しめられましたが、それゆえに 苦境や逆境にとても強く、根性も度胸も身に付きましたし、コミュニケーション能力が更に高まり、内面が相当に強靭になりました。
これでたとえどんなくそじじいくそばばあが義理の親になっても対抗できるな余裕だなと思っていたので、肩透かしを食らいました。
何にも言わずとも(なにもせずとも)なぜか義理のお父さんもお母さんも私を信頼して一目置いてくれるんですよね。
それはまぁ、義理の両親も長年生きてきて莫迦じゃないので。
この子(私)、きちんと地に足がついているなっていうのも見て取れるんでしょうが。
何にもしない、今のような好きな仕事をしても説明せずとも勝手に信じてもらえる、何にも言わないでも、子供を生まなくても。なぜか勝手にリスペクトしてくれる。
ひらたくいうと結婚後の家庭運がいい。
端的に言うと私は実家運(実の親族運)がえらくよろしくなかったんですが、結婚後の家庭運(義理の親族運)がえらく良いんですね。
いろんな人々を見てきて思うのは大体皆さん、どちらかが良くて、どちらかが悪いというのが大多数ですね。
もちろんどちらも悪いという人もいれば、どちらも良いという人もいます。 ですがとてつもなく少数派ですが。
そういった人たちはまた別の所で難関が待ち構えている。
ひとつの人生一生を通してオールマイティに何でもすごくいい人というのはいません。
オールマイティになんでもいいんだったら生まれてくる(学びにくる)必要がなくなってしまいますから。
人生が学校だとしたら、学ぶ必要がない人は学校に行かなくていいわけですからね。
これはどんなに恵まれているように見える人でも、またその逆の人でも全人類に共通することです。
脅すわけではないですが、実の両親に恵まれ実家運にも恵まれている人というのは、 義実家で相当苦労する人が多いという傾向はものすごくよく見られます。
つまりどこで最も重要なことを学ぶかということです。私は人生のそうとう若い頃に学んだということ。
結婚後これから学ぶという人もいます。
どこに難関が待ち構えているかというのはその人の人生設計図でそれぞれ違うものですから、 どちらが優れていてどちらが劣っているだという話ではありません。
結婚もせず子供もおらずで今生をすべて自分だけのために自由に使える人というのは 大体サイコロがもうすぐ上がりだと言われていますが、そういう人でさえ 物理的・精神的にも(人知れず)強烈な孤独とどう向き合うか、という超絶難関が待ち構えています。
もう人生クエストなんかしないも〜ん🖤全部楽しいことだけで済ますも〜ん🖤るんるん🖤っていうのは、現段階の地球上では残念ながらありませんし、それを売りにしている自己啓発系の人達、今どんどん裁判沙汰や警察沙汰になったりして淘汰されたりしてますしね。
さておき。
何が言いたいのかと言うとね。
『めぐみさん、旦那にも旦那の実家にも仕事にも恵まれてて羨ましいなあ』なんて思う必要はないってことですよ。おつかれちゃん。
何でもほくほくなオールマイティな人生なんかないかわりに、何一つ救いがない人生というのもないですからね。
実は人生は不平等なのではなく一律に平等なんですよ。
すべての人間は人間である以上、苦しみも喜びも必ず味わうのですから。
もしかしたら死ぬ瞬間にそれを芯から悟れるのかもしれないし、来世や来来世で腑に落とせるのかもしれないし。
写真は義父と幼少期のダンナマン。
生前、お父さんに電話越しに言われた言葉。
『こんな莫迦息子といっしょになってくれてありがとう』
いーえー。こちらこそです、お父さん。
今日からお盆ですが、お墓参りが出来なかったり 仏壇がないという人も思い出を馳せてみるというのもしてみてくださいね。
伝授を受けている方は実家婚家問わずご先祖様に向かって遠隔レイキを流してあげて下さいよ。
お盆によせて、よもやま話でした。