人より大事なものなんてなかったのに
まず、娘さんと息子さんに
『わたしはお店や同業者にたいして見栄を優先させて、あなたたち家族をないがしろにしていました。非を認めます。申し訳なかったです。ごめんなさい』
そうしっかり自分の非を認め謝り伝えなさいということをお勧めさせていただきました。
初めて緑翆に来た時は到底そんなことは口が裂けても言えないような状況でした。
しかし何回も遠隔施術を受け続け H & C も受けてくれてね。
やっとここまで 心的なブロックが取れて。周りにもそして自分自身にも素直になれるようになって本当に良かったね。
このクライアントさんはお店を存続させねばと、家族より周り(お客さんや同業者)に対する体面や見栄に妄執してしまいました。
自分では家族のためと思っていたつもり。
実際にその思いも嘘ではないのですが、それよりもさらに大きな想いというのはやはり周りに対する虚栄心だったわけです。
その虚栄心を認めるの が本当に大変な作業でしたね。この方は H & C は5回 (1クール)受けていらっしゃいますが。
何かと言ってはお店のことに関すると話を無意識にはぐらかし逸らし話題にしようとしたがらなかったのも心的防御反応のうちのひとつです。
見たくない知りたくない自分を発見したくないがゆえの防御反応。
周りから見れば家族から見れば、お母さん(このクライアントさん)は家族よりもお店のことや見栄の方が大事なんだ…
その虚栄心ゆえに私達家族も苦しめていることにどうして気づいてくれないのだろう?
それゆえに長男さん次女さんは彼女から離れていってしまっていました。
次女さんの『解ってくれたんなら』というひとこと。
このひとことのに、クライアントさんの無意識、もっというとこのクライアントさんの嫁家の家系の癖(カルマ)の浄化が始まったことを意味します。
やっとこのクライアントさんもそんな見たくない知りたくなかった自分自身を認められた時、現実が ゆっくりと動き出します。
前述したパメラアンダーソンの『人はみな自分自身に怯えている』ということは、このようなことも当然含まれます。
見たくない知りたくない自分。
それは場合によっては端から見れば一目瞭然なことが多い。
自分自身について何も解っていないのは自分自身だけだったというようなことも含まれます。
これは人からどんなに指摘されても自分自身で認め腑に落とさなければ永遠に同じことを繰り返します。
でもこの方は大丈夫☺️
もうしっかりとそれを認めることができたし、そもそもこのクライアントさんはね、この次女さんについ最近までけんもほろろに取り付く島もなく無視されてしまっていたのに、こうして 自分の非を認めて謝ることができてそれに答えてもらえたのですから。
人は何度でも何歳になっても生きている限り必ずやり直しはできるし、いつだって再出発できるのです。
これは綺麗事でもないし、そこに到達するまでに乗り越えねばならない心の葛藤はありますが。
『わたしはお店や同業者にたいして見栄を優先させて、あなたたち家族をないがしろにしていました。非を認めます。申し訳なかったです。ごめんなさい』
そうしっかり自分の非を認め謝り伝えなさいということをお勧めさせていただきました。
初めて緑翆に来た時は到底そんなことは口が裂けても言えないような状況でした。
しかし何回も遠隔施術を受け続け H & C も受けてくれてね。
やっとここまで 心的なブロックが取れて。周りにもそして自分自身にも素直になれるようになって本当に良かったね。
このクライアントさんはお店を存続させねばと、家族より周り(お客さんや同業者)に対する体面や見栄に妄執してしまいました。
自分では家族のためと思っていたつもり。
実際にその思いも嘘ではないのですが、それよりもさらに大きな想いというのはやはり周りに対する虚栄心だったわけです。
その虚栄心を認めるの が本当に大変な作業でしたね。この方は H & C は5回 (1クール)受けていらっしゃいますが。
何かと言ってはお店のことに関すると話を無意識にはぐらかし逸らし話題にしようとしたがらなかったのも心的防御反応のうちのひとつです。
見たくない知りたくない自分を発見したくないがゆえの防御反応。
周りから見れば家族から見れば、お母さん(このクライアントさん)は家族よりもお店のことや見栄の方が大事なんだ…
その虚栄心ゆえに私達家族も苦しめていることにどうして気づいてくれないのだろう?
それゆえに長男さん次女さんは彼女から離れていってしまっていました。
次女さんの『解ってくれたんなら』というひとこと。
このひとことのに、クライアントさんの無意識、もっというとこのクライアントさんの嫁家の家系の癖(カルマ)の浄化が始まったことを意味します。
やっとこのクライアントさんもそんな見たくない知りたくなかった自分自身を認められた時、現実が ゆっくりと動き出します。
前述したパメラアンダーソンの『人はみな自分自身に怯えている』ということは、このようなことも当然含まれます。
見たくない知りたくない自分。
それは場合によっては端から見れば一目瞭然なことが多い。
自分自身について何も解っていないのは自分自身だけだったというようなことも含まれます。
これは人からどんなに指摘されても自分自身で認め腑に落とさなければ永遠に同じことを繰り返します。
でもこの方は大丈夫☺️
もうしっかりとそれを認めることができたし、そもそもこのクライアントさんはね、この次女さんについ最近までけんもほろろに取り付く島もなく無視されてしまっていたのに、こうして 自分の非を認めて謝ることができてそれに答えてもらえたのですから。
人は何度でも何歳になっても生きている限り必ずやり直しはできるし、いつだって再出発できるのです。
これは綺麗事でもないし、そこに到達するまでに乗り越えねばならない心の葛藤はありますが。