おととい、鎌倉のクライアントさま宅に 出張施術に伺った後 鶴岡八幡宮に詣りました。
私が鳥居をくぐったのとほぼ同時に、神前結婚式の雅楽の笙の音が鳴り響きました。
春になったとはいえ まだまだ 日暮れが早い 夕闇の中 結婚式が行われているということ。
驚くようなタイミングで 笙の音が鳴り響いたこと。
偶然、単なるタイミングと言ってしまえば、 それまでなのですが、
これも立派な “外応” 。
自宅でも神棚に毎日、祝詞を上げていること、神さまがきちんと聞いていてくださり、解ってくださっているのだということのサインだと実感した次第です。
たまたまだよ。伊藤、おめでたいヤツだな、と 思われる方も おられるかもしれませんが っていうか サブブログ読んでくれてる人々ではいないか(^-^;
端的に言うと 神を感じた瞬間 ということになります。
ここまで ピュアなことを話していて何ですが。
レイキもそうだし、神社仏閣の神仏もそうですが、人間というのは効果のないものに金銭は支払わないものです。
(ここで云う金銭とは まっとうな適正価格のことです。 家庭崩壊から人生崩壊させる 統◯◯会とかありえんし)
さらに 世俗的な ゲスっぽい 言い回しをするならば、効果があるからこそ、今の今まで存在しているということでもあります。
大昔からね。
私はよく信心深いですね、と人に言われます。
いえいえ、 そうではありません。
結果こそ全ての現実主義の人間です。
これも何度も言っていることですが 精神世界・スピリチュアリティを突き詰めるとそこには“現実”というものが あるわけです。
私自体がレイキをお伝えしている身ですが 効果がなきゃ、やっていないもの(笑)