伝授を受けるタイミング
それは本当に 人それぞれだと思います。
私は小学4年から5年に上がる 春休みに初潮を迎え、動揺しましたし今にして思えば初潮到来により突然ホルモンバランスが崩れて情緒が不安定になっていたのでしょうね。 泣きながら祖母にそれを伝えると、なにをするとは言わず、ちょいとそこに横になりなさいと言われて、結局レイキ伝授を受けました。
すぐに眠ってしまい何をされていたのかは 覚えてもいませんでしたが。
今にして思うとそれはいわゆる ファーストディグリー アチューメントであり、祖母からは、それ以上のディグリーステップには 進まなかったのでありますが。
その4年後に祖母は他界してしまったので。
重ねてになりますが、さらに、今にして思うとそれはチョクレイのマントラとシンボルマークだったのですが、祖母に これは何だと訊ねると、おまじない だから怖くなったり不安になったりしたら自分の手のひらとおでこに人にわからないように書きなさい言われました。
それ以前でも、よく祖母に会いに行くと帰りがけに、 いわゆるクラウンチャクラと手のひらに チョクレイのシンボルを書かれ 息を吹きかけられました。
祖母にそうされると、とても安心し、落ち着いたことが懐かしく思い返されます。
安心立命ですね。
子供の頃は 今以上に 霊能が強かったので 私が不安定にならないように祖母がそうとは言わず 配慮してくれたのでしょう。
その春の日から30年近く経って 改めて自分で レイキというものを模索し、大人になってから再度1から伝授をし直しました。
今、人様にお伝えしている身となり、 その時に必要だからこそ祖母はそうとは言わずファーストをしてくれたのだということが、 骨身に沁みてよく理解できます。 そしてとてもありがたいということも。
じつにいろんな人がいろんなタイミングで受けにいらっしゃいます。
このままの自分ではだめだと一念発起していらっしゃる方、DV などの 嵐のただ中にいらっしゃる方や 人との争い事のただ中にいらっしゃる方もいれば、 これから起きるであろう愛する人とのお別れの準備をするために、 その痛手から自分と家族を 癒し 守ろうとするために、そうとは顕在意識では意図せずにいらっしゃる方もおられます。
愛する家族のためという方が多いですが もちろん それも視野に入れつつ、しかし 1番は 愛する家族を支えるために自分自身をよく知り 自分自身を癒すことが 最優先です。
心から始まる物理肉体を癒し、心身とも丈夫に健全にし、そこからさらに愛する家族にもレイキを。
伝授は精神的な学びにも本当に良いものです。
そう思うと伝授とはその人それぞれに必要な時期に巡ってくるのかなと感じます。
それに沿ってその時期に必要なことを体験し学んでいるのですよね。
どうして、この時期にレイキを体験することになっているのかという視点で考えてみると、自ずと生き方、人生のみちしるべが見えてくるのかもしれません。
写真は向かって左の着物姿がくだんの祖母です。
物心ついた時から祖母みつ子には 霊能者としての道徳観念や セラピストとしての心構えや所作や、ありようなどを 非言語の情報として彼女の立ち振舞いから、時には口伝で、たくさん教えてもらっておりました。
祖母自身も意図して孫娘である私にそんなことを伝えている気はさらさらなかったのでしょう。
私は初孫ですし、母や叔母から嫉妬されるほど祖母にはいたく可愛がられました。
それはきっと私が祖母自身に能力含め似ているから だったのかもしれません。
自分の人生の道しるべ は人生の都度都度あるポイントあるポイントにしっかり 記されているのだよ、と 私淑している 宮本辰彦先生が教えてくださいましたが、 私の人生の道しるべの ファースト ポイントは他ならぬ 祖母であることは間違いありません。
皆さんも自分の人生の道しるべについて過去を振り返り思い返してみるのも良いことだと思います。
幼い頃の写真を見ると必ず両脇に祖母と父が。
彼らは私の父、祖母というだけではなくガーディアン そのものでありました。
私は小学4年から5年に上がる 春休みに初潮を迎え、動揺しましたし今にして思えば初潮到来により突然ホルモンバランスが崩れて情緒が不安定になっていたのでしょうね。 泣きながら祖母にそれを伝えると、なにをするとは言わず、ちょいとそこに横になりなさいと言われて、結局レイキ伝授を受けました。
すぐに眠ってしまい何をされていたのかは 覚えてもいませんでしたが。
今にして思うとそれはいわゆる ファーストディグリー アチューメントであり、祖母からは、それ以上のディグリーステップには 進まなかったのでありますが。
その4年後に祖母は他界してしまったので。
重ねてになりますが、さらに、今にして思うとそれはチョクレイのマントラとシンボルマークだったのですが、祖母に これは何だと訊ねると、おまじない だから怖くなったり不安になったりしたら自分の手のひらとおでこに人にわからないように書きなさい言われました。
それ以前でも、よく祖母に会いに行くと帰りがけに、 いわゆるクラウンチャクラと手のひらに チョクレイのシンボルを書かれ 息を吹きかけられました。
祖母にそうされると、とても安心し、落ち着いたことが懐かしく思い返されます。
安心立命ですね。
子供の頃は 今以上に 霊能が強かったので 私が不安定にならないように祖母がそうとは言わず 配慮してくれたのでしょう。
その春の日から30年近く経って 改めて自分で レイキというものを模索し、大人になってから再度1から伝授をし直しました。
今、人様にお伝えしている身となり、 その時に必要だからこそ祖母はそうとは言わずファーストをしてくれたのだということが、 骨身に沁みてよく理解できます。 そしてとてもありがたいということも。
じつにいろんな人がいろんなタイミングで受けにいらっしゃいます。
このままの自分ではだめだと一念発起していらっしゃる方、DV などの 嵐のただ中にいらっしゃる方や 人との争い事のただ中にいらっしゃる方もいれば、 これから起きるであろう愛する人とのお別れの準備をするために、 その痛手から自分と家族を 癒し 守ろうとするために、そうとは顕在意識では意図せずにいらっしゃる方もおられます。
愛する家族のためという方が多いですが もちろん それも視野に入れつつ、しかし 1番は 愛する家族を支えるために自分自身をよく知り 自分自身を癒すことが 最優先です。
心から始まる物理肉体を癒し、心身とも丈夫に健全にし、そこからさらに愛する家族にもレイキを。
伝授は精神的な学びにも本当に良いものです。
そう思うと伝授とはその人それぞれに必要な時期に巡ってくるのかなと感じます。
それに沿ってその時期に必要なことを体験し学んでいるのですよね。
どうして、この時期にレイキを体験することになっているのかという視点で考えてみると、自ずと生き方、人生のみちしるべが見えてくるのかもしれません。
写真は向かって左の着物姿がくだんの祖母です。
物心ついた時から祖母みつ子には 霊能者としての道徳観念や セラピストとしての心構えや所作や、ありようなどを 非言語の情報として彼女の立ち振舞いから、時には口伝で、たくさん教えてもらっておりました。
祖母自身も意図して孫娘である私にそんなことを伝えている気はさらさらなかったのでしょう。
私は初孫ですし、母や叔母から嫉妬されるほど祖母にはいたく可愛がられました。
それはきっと私が祖母自身に能力含め似ているから だったのかもしれません。
自分の人生の道しるべ は人生の都度都度あるポイントあるポイントにしっかり 記されているのだよ、と 私淑している 宮本辰彦先生が教えてくださいましたが、 私の人生の道しるべの ファースト ポイントは他ならぬ 祖母であることは間違いありません。
皆さんも自分の人生の道しるべについて過去を振り返り思い返してみるのも良いことだと思います。
幼い頃の写真を見ると必ず両脇に祖母と父が。
彼らは私の父、祖母というだけではなくガーディアン そのものでありました。