人と猫の違い、神仏に近い生命体
コンラートローレンツのソロモンの指輪には悟りまでは記述はなかったはずだが。
ローレンツは仏教徒じゃないしね。
私は猫に御神仏の氣を感じる。
でもこれは洋の東西・宗教感問わず人は感じるのではなかろうか。
西洋の魔女が必ず 猫を従えているということにも象徴されるように思われる。
※
残念ながら 4匹中 最後に 出てきた1匹は 出産後すぐ 他界してしまいました。
この動画の手前の子なんですけども 母猫が胎盤だけ食べてご覧のように へその緒を引きちぎることができなかったんです。
あるいはわざとへその尾をそのままにしておいたのか。
4匹の中で最もか弱く、体も小さく、 お乳を吸う力も弱く。
小さな体 に大きな へその緒がずっとついている状態でした。
あみちゃんも他の3匹に比べて この子のことをスルーしがちだなぁというのも観察していて思いましたし、何よりも素人目に見ても、あまりにも小さくて、あぁ…これはちょっとまずいかな…という第一印象。
第一印象というかもうこれは六感以上の感でした。
人間の場合は 何よりも か弱い子を最優先にしなければならないですし、それが人の道義、人道というものでもあります。
が、動物はそんなことをしていたら 自分はおろか他の丈夫な子たちの命も 危険にさらすことになってしまう。
ゆえに 生来弱い子を淘汰するということになるんでしょう。
でも母猫あみちゃんを見ていて思ったのは決して見捨てているような感じはしなかったんです。
この子は長くないだろうという悲しみの感情も しっかり感じましたし解りました。
感情は確実にある。
それは有機物だけではなく無機物も万物 全てにおいて。
私が思うに、 人と動物の違いというのは実はあまりないのだけれども、唯一 決定的に違うのは『切り替えの早さ』 だと思うんです。
私事で恐縮ですが 私は子を育てたことはありませんが、子を 失う苦しみというのは骨身に沁みております。
そう、悲しみから由来する“苦しみ”。
猫にも子を失う悲しみはあるけれども、それに伴う後続の『苦しみ』という感情は、猫には特に野生の野良母猫にとっては致命的なものになってしまいますし。
特に猫が悟りを開いた神仏に近い動物であると言われる所以は、 そして私たち人間を魅了する所以は 、その 刹那的な有り様、つまり 切り替えの早さにも 由来するのではなかろうか。
悟りに近い生命体。
そんな愚にもつかぬことをつらつらと考えながら、この小さな命を翌日ある場所にて 土に、いえ、天にお還ししました。
ローレンツは仏教徒じゃないしね。
私は猫に御神仏の氣を感じる。
でもこれは洋の東西・宗教感問わず人は感じるのではなかろうか。
西洋の魔女が必ず 猫を従えているということにも象徴されるように思われる。
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残念ながら 4匹中 最後に 出てきた1匹は 出産後すぐ 他界してしまいました。
この動画の手前の子なんですけども 母猫が胎盤だけ食べてご覧のように へその緒を引きちぎることができなかったんです。
あるいはわざとへその尾をそのままにしておいたのか。
4匹の中で最もか弱く、体も小さく、 お乳を吸う力も弱く。
小さな体 に大きな へその緒がずっとついている状態でした。
あみちゃんも他の3匹に比べて この子のことをスルーしがちだなぁというのも観察していて思いましたし、何よりも素人目に見ても、あまりにも小さくて、あぁ…これはちょっとまずいかな…という第一印象。
第一印象というかもうこれは六感以上の感でした。
人間の場合は 何よりも か弱い子を最優先にしなければならないですし、それが人の道義、人道というものでもあります。
が、動物はそんなことをしていたら 自分はおろか他の丈夫な子たちの命も 危険にさらすことになってしまう。
ゆえに 生来弱い子を淘汰するということになるんでしょう。
でも母猫あみちゃんを見ていて思ったのは決して見捨てているような感じはしなかったんです。
この子は長くないだろうという悲しみの感情も しっかり感じましたし解りました。
感情は確実にある。
それは有機物だけではなく無機物も万物 全てにおいて。
私が思うに、 人と動物の違いというのは実はあまりないのだけれども、唯一 決定的に違うのは『切り替えの早さ』 だと思うんです。
私事で恐縮ですが 私は子を育てたことはありませんが、子を 失う苦しみというのは骨身に沁みております。
そう、悲しみから由来する“苦しみ”。
猫にも子を失う悲しみはあるけれども、それに伴う後続の『苦しみ』という感情は、猫には特に野生の野良母猫にとっては致命的なものになってしまいますし。
特に猫が悟りを開いた神仏に近い動物であると言われる所以は、 そして私たち人間を魅了する所以は 、その 刹那的な有り様、つまり 切り替えの早さにも 由来するのではなかろうか。
悟りに近い生命体。
そんな愚にもつかぬことをつらつらと考えながら、この小さな命を翌日ある場所にて 土に、いえ、天にお還ししました。