鶴岡八幡宮の参道です。
かつては八幡様からひたすらまっすぐに由比ヶ浜まで続いていた。
海からの氣が宮に入るように、また宮の氣が海に流れるように循環させていたんでしょうね。
また源氏の平家の文化レベルの高さに対する(無意識の)憧憬もあったんでしょうね。
鎌倉にも宮島厳島神社のような秀麗な神社を建立したかったんだろうよね。
厳島神社の鳥居と社殿を真似て由比ヶ浜に作ってみたものの海流のせいで上手く建立できなくて丘側に移築したそうですし。
人の真似を(意識的・無意識的)しても結局うまくいかないことを如実に表していますな。
あまつさえ(無意識憧憬して)真似た相手を貶めてワイがオリジナルじゃ、とかね。
周りから見たらバレバレの笑止千万。
明治に横須賀線が敷かれてしまい、氣が遮断されてしまったのには未だに鎌倉を守護している頼朝さんも「え。まじで?(ドン引き)」だったことでしょう。
幕府を作った際せっかく苦労して曲がりくねった道を整備してまっすぐにしたのに。
頼朝さんは平家に対する無意識の憧憬に自分でそれに気づいていたのかな?いなかったのかな?
鎌倉を守護している存在となった今は苦笑いかな?
あれから800数年経ち、確かに鎌倉は日本有数の有名無名の文化人・芸術家を排出したり在席する地になりましたね。
大きなものから、小さな小さな芸術文化サロンやカフェが無数にある鎌倉。
神仏や坊さん神主もたくさんいる土地に育った。
世俗的にも鎌倉は高級ブランド地として名高い。
それには平家の文化レベルに対する憧れ、頼朝さんの凄まじい執念いや怨念?を感じるわ。
頼朝さんの執拗な想いが文化人を呼び寄せるみたいな。