カルマについて質問がありましたので、さくっと説明します
ヴェーダというインド哲学では、過去に積んできた良い行為、悪い行為は、因果応報の法則で必ず自分に返ってくると考えます。その善悪の行為はカルマと呼ばれ、仏教では業と呼ばれるものと一緒です。カルマには、まずは、ざっくり4種類あると言われてます。
カルマ=行為
厳密にいうとカルマとは“行為”という意味です。
@サンチッタ・カルマ:過去世において行った行為の結果が蓄積されたすべてのカルマ
Aプララブダ・カルマ:サンチッタ・カルマの一部で、現在の生(今生)で経験し取り組まなければならないカルマ(今生の課題)
Bクリヤマナ・カルマ:今生のカルマの中で、自分の意志で自由に作れるカルマ、避けることのできるカルマ
Cアーガミ・カルマ:来世のカルマ
プララブダ・カルマには、良いカルマ、悪いカルマ、良くも悪くもないカルマがあります。良いカルマの果報として、人生での達成や成功を経験し、悪いカルマの果報として、人生での挫折や悲しみを経験し、良くも悪くもないカルマの果報としては、人生での平凡な経験をすることになります。
これは、人に親切にして善い行いを積み重ねていれば、人から親切にして貰える。人に対して攻(口)撃的な態度や言葉をつかっていれば、人から攻撃(口撃)されやすいという風に、自分のしたことが返ってくると言う形のカルマ(行為の結果)です。
でもね、大丈夫。怖がる必要はありません。
どんな高尚な(或いは口撃ばかりのへっぽこじじい坊主)お坊さんでも、ローマ教皇だろうがなんだろうが、上記のカルマは全ての人間が持ってるものだから。
もちろん私だって持ってるし、あなただって持ってるし。
だから不必要に怯えたり、だから自分はダメなんだ…とか落ち込む必要はない。
安心してくださいね。
誰にでも必ず試練の時は訪れるものですが、試練(今生で取り組み課題)があるということは、その試練を乗り越えられることが前提としてあるわけですから。
言い換えると、その試練は生まれる前に自分が(ブループリント(人生設計図として))設定してきているものですから。
これは古今東西あらゆる教典に書いてあることだということは皆さんもご存知ですよね☺️
ジョーティシュ清水俊介先生のお話がとても解りやすいですから載せときます。
ジョーティシュに興味ない人にもためになると思うよ。
https://youtu.be/UefnAcI5Q40
ॐ ह्ल्रीं बगलामुखि सर्वदुष्टानां वाचं मुखं पदं स्तम्भय
जिह्वां कीलय बुद्धिं विनाशय
カルマ=行為
厳密にいうとカルマとは“行為”という意味です。
@サンチッタ・カルマ:過去世において行った行為の結果が蓄積されたすべてのカルマ
Aプララブダ・カルマ:サンチッタ・カルマの一部で、現在の生(今生)で経験し取り組まなければならないカルマ(今生の課題)
Bクリヤマナ・カルマ:今生のカルマの中で、自分の意志で自由に作れるカルマ、避けることのできるカルマ
Cアーガミ・カルマ:来世のカルマ
プララブダ・カルマには、良いカルマ、悪いカルマ、良くも悪くもないカルマがあります。良いカルマの果報として、人生での達成や成功を経験し、悪いカルマの果報として、人生での挫折や悲しみを経験し、良くも悪くもないカルマの果報としては、人生での平凡な経験をすることになります。
これは、人に親切にして善い行いを積み重ねていれば、人から親切にして貰える。人に対して攻(口)撃的な態度や言葉をつかっていれば、人から攻撃(口撃)されやすいという風に、自分のしたことが返ってくると言う形のカルマ(行為の結果)です。
でもね、大丈夫。怖がる必要はありません。
どんな高尚な(或いは口撃ばかりのへっぽこじじい坊主)お坊さんでも、ローマ教皇だろうがなんだろうが、上記のカルマは全ての人間が持ってるものだから。
もちろん私だって持ってるし、あなただって持ってるし。
だから不必要に怯えたり、だから自分はダメなんだ…とか落ち込む必要はない。
安心してくださいね。
誰にでも必ず試練の時は訪れるものですが、試練(今生で取り組み課題)があるということは、その試練を乗り越えられることが前提としてあるわけですから。
言い換えると、その試練は生まれる前に自分が(ブループリント(人生設計図として))設定してきているものですから。
これは古今東西あらゆる教典に書いてあることだということは皆さんもご存知ですよね☺️
ジョーティシュ清水俊介先生のお話がとても解りやすいですから載せときます。
ジョーティシュに興味ない人にもためになると思うよ。
https://youtu.be/UefnAcI5Q40
ॐ ह्ल्रीं बगलामुखि सर्वदुष्टानां वाचं मुखं पदं स्तम्भय
जिह्वां कीलय बुद्धिं विनाशय