おやすみせかい
引力の法則は、ニュートンが発見する以前にも同様に働いていたのだ。
もし法則というものが、人間に信じられなければ働かないとしたら、宇宙の秩序は混乱してしまうだろう。
(中略)
スリ・ユクテスワはさらに続けた。
「すべての被造物は互いに関連し、影響を与え合っている。宇宙のリズムのバランスがとれているのは、その相互作用のためだ。
人は、地上に生きている間は、二種類の力と戦わなければならない。一つは、人間を内的に構成している地水火風空の諸要素が引き起こす混乱で、今一つは、自然現象から来る外的崩壊力だ。人は、この無常の肉体に宿って生きている間は、刻々と変化する天界と地界のさまざまな影響力を受けなければならない。
星学は、星の刺激に対する人間の反応を研究する科学だ。
星には意識的な善意や悪意があるわけではない。星はただ、陽性または陰性の放射線を放っているにすぎない。これらの放射線は、それ自体としては人間を助けたり害したりするものではないが、各人が過去においてまいた行為の種子(因)に、因果の法則による発芽の機会(縁)を与えるのだ。
子供は、この天からの放射線と、本人の個人的カルマとが数学的に合致したその日、その時刻に生まれる。
彼の天宮図は、彼のもはや塗り変えることのできない過去と、それから生ずるであろう未来を予想して見せる、いわば運命の挑戦的肖像画だ。しかし、この誕生時の天宮図を真に正しく解釈できるのは、直観的英知の開けたごくわずかな人に限られている。
誕生の瞬間に大空いっぱいに描かれるこの託宣は、決してその人の運命(過去の所業が原因となってもたらす結果)を強調するためではなく、むしろ、その束縛から抜け出そうとする人問の意志を喚起するためのものなのだ。自分でした事は、自分で元どおりに直すことができる。現在自分の身のまわりに起こっているいろいろな出来事は、すべて自分自身が過去においてまいた原因から生じたものだ。
どんな障害でも克服できないものはない。なぜなら、その障害はそもそも自分自身の行為がつくり出したものであり、しかも人間は、星の力などには影響されない霊的資産を持っているからだ。
星学というものをただ迷信的に恐れ信ずる者は、運星の奴隷としてその機械的な法則に巻き込まれてしまうことになる。
賢者は、その信仰の拠りどころを被造物から創造主に転換することによって、自己の星すなわち過去の因縁に打ち勝つのだ。
人間は、自己の霊性に目覚めれば目覚めるほど、物質的に支配される度合いが少なくなる。魂は、もともと永遠に自由なのだ。それは生まれて出来たものではないから、死ぬこともないし、また、星によって支配されることもないのだ。
人間は魂であって、肉体はその一時的な所有物にすぎない。
人は自己の本性を正しく認識したとき、いっさいの現象的法則の束縛から自由になることができる。
だが、自己の霊性を忘れて迷妄の中をさまよっている間は、環境の法則の霊妙な支配から逃れることはできない。
神は調和だ。神に意識を合わせている者は、何をしても決して間違うことはない。
その人の行為は、自然に星学の法則にもかなうことになる。
人は深い祈りや瞑想によって、自己の内奥に宿る聖なる意識に触れることができる。
そしてこの内的守護こそ、何物にもまさる偉大な力なのだ」
「では、先生はなぜ私に星学の腕輪などはめろとおっしゃるのですか?」
私は初めて耳にする高遠な解説を深くかみしめながら黙って傾聴していたがここでこう反問した。
「旅行者に地図が要らなくなるのは、彼が目的地に着いたときだ。旅行中は、地図があればいろいろと便利な近道をとることができる。
いにしえの聖賢たちは、人間が迷妄の中を放浪する期間を短縮する多くの方法を発見してくれた。
つまり、因果の法則には、英知の指先によって操作できる巧妙な調節装置が付いているのだ。
いっさいの人間苦は、宇宙法則に対して何らかの違反を犯したことから生ずる。
人間は神の全能を信ずると同時に自然法則をも満足させなければならない、と聖典は指摘している。
だから人間は、苦難に直面したときはいつも、『神よ、私はあなたを信じます。あなたは私をどんな苦難からも助けてくださることができます。しかし私もまた、自分の犯した過ちを償うために最善を尽くします』と言わなければならない。
過去の過ちがもたらす悪い結果は、いろいろな方法によって、すなわち、祈りによって、意志の力によって、ヨガの瞑想によって、聖者の助けを借りることによって、また、星学の腕輪をはめることによって最小限度にくい止めたり、あるいはまた、全く避けることもできるのだ。
家を避雷針によって落雷の危険から守ることができるように、人間の肉体もいろいろな方法によって外的影響から守ることができる。
宇宙にはいろいろな電気的あるいは磁気的放射線がたえず循環しており、それらは人体に良い影響や悪い影響を与えている。
大昔、われわれの聖賢たちは、人間がそれらの宇宙から来る霊妙な悪い影響力を征服するにはどうすればよいかという問題に取り組んだ。そしてついに、純粋な金属から発散している霊的放射線が、星の陰性の引力を強く打ち消す力をもっていることを発見した。また、ある種の植物を組み合わせても同様の効果があることや、二カラット以上の無傷の宝石が特に有効であることも知った。
星学を予防手段として実際に用いることは、インド以外ではまだ真剣に研究されていない。また、ほとんど知られていない事だが、どんなに適当な宝石や金属や植物を用いても、それが必要な重量をもたない場合、また、直接肌に密着させていない場合には効果がない」
『あるヨギの自叙伝』
第十六章 星運をかわす 169P〜より
ॐ त्र्यम्बकं यजामहे सुगन्धिं पुष्टिवर्धनम्
उर्वारुकमिव बन्धनान्मृत्योर्मुक्षीय मामृतात्
もし法則というものが、人間に信じられなければ働かないとしたら、宇宙の秩序は混乱してしまうだろう。
(中略)
スリ・ユクテスワはさらに続けた。
「すべての被造物は互いに関連し、影響を与え合っている。宇宙のリズムのバランスがとれているのは、その相互作用のためだ。
人は、地上に生きている間は、二種類の力と戦わなければならない。一つは、人間を内的に構成している地水火風空の諸要素が引き起こす混乱で、今一つは、自然現象から来る外的崩壊力だ。人は、この無常の肉体に宿って生きている間は、刻々と変化する天界と地界のさまざまな影響力を受けなければならない。
星学は、星の刺激に対する人間の反応を研究する科学だ。
星には意識的な善意や悪意があるわけではない。星はただ、陽性または陰性の放射線を放っているにすぎない。これらの放射線は、それ自体としては人間を助けたり害したりするものではないが、各人が過去においてまいた行為の種子(因)に、因果の法則による発芽の機会(縁)を与えるのだ。
子供は、この天からの放射線と、本人の個人的カルマとが数学的に合致したその日、その時刻に生まれる。
彼の天宮図は、彼のもはや塗り変えることのできない過去と、それから生ずるであろう未来を予想して見せる、いわば運命の挑戦的肖像画だ。しかし、この誕生時の天宮図を真に正しく解釈できるのは、直観的英知の開けたごくわずかな人に限られている。
誕生の瞬間に大空いっぱいに描かれるこの託宣は、決してその人の運命(過去の所業が原因となってもたらす結果)を強調するためではなく、むしろ、その束縛から抜け出そうとする人問の意志を喚起するためのものなのだ。自分でした事は、自分で元どおりに直すことができる。現在自分の身のまわりに起こっているいろいろな出来事は、すべて自分自身が過去においてまいた原因から生じたものだ。
どんな障害でも克服できないものはない。なぜなら、その障害はそもそも自分自身の行為がつくり出したものであり、しかも人間は、星の力などには影響されない霊的資産を持っているからだ。
星学というものをただ迷信的に恐れ信ずる者は、運星の奴隷としてその機械的な法則に巻き込まれてしまうことになる。
賢者は、その信仰の拠りどころを被造物から創造主に転換することによって、自己の星すなわち過去の因縁に打ち勝つのだ。
人間は、自己の霊性に目覚めれば目覚めるほど、物質的に支配される度合いが少なくなる。魂は、もともと永遠に自由なのだ。それは生まれて出来たものではないから、死ぬこともないし、また、星によって支配されることもないのだ。
人間は魂であって、肉体はその一時的な所有物にすぎない。
人は自己の本性を正しく認識したとき、いっさいの現象的法則の束縛から自由になることができる。
だが、自己の霊性を忘れて迷妄の中をさまよっている間は、環境の法則の霊妙な支配から逃れることはできない。
神は調和だ。神に意識を合わせている者は、何をしても決して間違うことはない。
その人の行為は、自然に星学の法則にもかなうことになる。
人は深い祈りや瞑想によって、自己の内奥に宿る聖なる意識に触れることができる。
そしてこの内的守護こそ、何物にもまさる偉大な力なのだ」
「では、先生はなぜ私に星学の腕輪などはめろとおっしゃるのですか?」
私は初めて耳にする高遠な解説を深くかみしめながら黙って傾聴していたがここでこう反問した。
「旅行者に地図が要らなくなるのは、彼が目的地に着いたときだ。旅行中は、地図があればいろいろと便利な近道をとることができる。
いにしえの聖賢たちは、人間が迷妄の中を放浪する期間を短縮する多くの方法を発見してくれた。
つまり、因果の法則には、英知の指先によって操作できる巧妙な調節装置が付いているのだ。
いっさいの人間苦は、宇宙法則に対して何らかの違反を犯したことから生ずる。
人間は神の全能を信ずると同時に自然法則をも満足させなければならない、と聖典は指摘している。
だから人間は、苦難に直面したときはいつも、『神よ、私はあなたを信じます。あなたは私をどんな苦難からも助けてくださることができます。しかし私もまた、自分の犯した過ちを償うために最善を尽くします』と言わなければならない。
過去の過ちがもたらす悪い結果は、いろいろな方法によって、すなわち、祈りによって、意志の力によって、ヨガの瞑想によって、聖者の助けを借りることによって、また、星学の腕輪をはめることによって最小限度にくい止めたり、あるいはまた、全く避けることもできるのだ。
家を避雷針によって落雷の危険から守ることができるように、人間の肉体もいろいろな方法によって外的影響から守ることができる。
宇宙にはいろいろな電気的あるいは磁気的放射線がたえず循環しており、それらは人体に良い影響や悪い影響を与えている。
大昔、われわれの聖賢たちは、人間がそれらの宇宙から来る霊妙な悪い影響力を征服するにはどうすればよいかという問題に取り組んだ。そしてついに、純粋な金属から発散している霊的放射線が、星の陰性の引力を強く打ち消す力をもっていることを発見した。また、ある種の植物を組み合わせても同様の効果があることや、二カラット以上の無傷の宝石が特に有効であることも知った。
星学を予防手段として実際に用いることは、インド以外ではまだ真剣に研究されていない。また、ほとんど知られていない事だが、どんなに適当な宝石や金属や植物を用いても、それが必要な重量をもたない場合、また、直接肌に密着させていない場合には効果がない」
『あるヨギの自叙伝』
第十六章 星運をかわす 169P〜より
ॐ त्र्यम्बकं यजामहे सुगन्धिं पुष्टिवर्धनम्
उर्वारुकमिव बन्धनान्मृत्योर्मुक्षीय मामृतात्